

父が始めた窯で自然に始まった陶芸人生
和将窯があるのは、愛媛県松前町。日常の器として親しまれてきた砥部焼の産地だ。この地で1998年に父が窯を開いたことが、山本さんの陶芸家としてのすべての始まりだった。その経緯について、少し考えながらこう振り返る。
「何かを決意した、という感覚はあまりなかったですね。陶芸教室の延長に、いつの間にか窯があった、という感じでした」
砥部町では、陶芸は特別な存在ではない。町の中に教室があり、器があり、土に触れる機会がある。陶芸は、将来を見据えて選び取る仕事というよりも、生活の延長線上にあるものだった。
「『やらされている』という感覚は、一度もなかったですね。ただひたすらに、楽しかったです」
家業を継ぐという強い意識や使命感が、最初からあったわけではない。ただ、身近にあり、楽しかった。その自然な距離感が、今の器づくりの土台になっている。
産地が育てた砥部焼の自由さ
産地としての砥部焼に対し、山本さんが感じている魅力のひとつは、「縛りが少ない」という自由度の高さだ。
厳格な様式や決まりを重んじる焼き物の産地もあるなかで、砥部焼は実用性を重んじ、窯元それぞれの個性が尊重されてきた。師匠との関係についても、そうした土地柄が色濃く表れている。
「手取り足取り教えられるというより、僕がやっているのを師匠が横で見ていて、折に触れてアドバイスをくれる。そうしたやり取りの中で、自然と技術が身についていった感覚です」
命令ではなく、信頼によって渡される自由。その距離感が、結果として型にとらわれない表現を育てた。伝統に守られているからこそ、外に出ることも許される。和将窯の器からは、産地の懐の深さがにじんでいる。

砥部焼の中であえて選んだ違う線
窯に入り、本格的に砥部焼と向き合い始めた頃は、藍色の唐草模様を描く日々が続いていた。唐草は砥部焼の象徴であり、確立された「王道」でもある。一方で、デザイン学校時代に描いていた線や模様の感覚が、ふと頭をよぎることがあった。
「これは砥部焼じゃないかもしれない、と思いながらも、線を描いてみたんです」
明確な狙いがあったわけではない。ただ、その線には、これまでとは違う手応えがあった。その器を見た師匠から返ってきた言葉が、流れを決定づける。
「迷うなら、そっちを突き詰めたほうがいい」
伝統から外れることを否定するのではなく、覚悟を促す一言だった。
音楽のように描くエチュード模様
こうして生まれた絵付けは、「音楽の流れみたいだ」という言葉から「エチュード模様」と名づけられた。エチュードとは、音楽における練習曲。反復の中で技巧と表現を磨いていくものだ。
「説明しすぎない名前が、ちょうどよかったんです」
模様を描く際、具体的なモチーフは決めない。花でも、波でも、動物でもない。ただ線を引き、その場でバランスを探っていく。
「ここで終わる、という感覚だけは、描きながらはっきり分かります」
一つひとつ手描きされるため、同じ器は二つとない。線の太さや余白は、その瞬間の集中力と身体感覚に委ねられている。意味を限定しないからこそ、見る人それぞれの解釈が生まれるのだ。
考え続けることで形になるデザイン
ものづくりのスタイルは、ひらめき型ではない。
「完成する前から、ずっと頭の中で作り続けています」
日常の中で考え続け、時間をかけて熟成され、制作の山場で一気に形になる。器のフォルムや取っ手の形にも、その積み重ねが表れている。一見すると個性的だが、手に取ると不思議と収まりがいい。指のかかり方、重心、口当たり。すべては使われる場面を想像しながら設計されている。
一点ものに宿る想いと個の尊重
和将窯には、オーダーメイドの依頼も多い。ペットの姿をあしらった器や、人生の節目に使うための特別な一品。中には、残された時間を意識した依頼もあった。
「器以上のものを作っている感覚でした」
大量生産ではなく、一つひとつ手で作るからこそ応えられる想いがある。同じものを均一に作るよりも、それぞれの背景を受け止めること。その姿勢は、砥部焼が本来持ってきた精神とも重なる。








