



江戸切子の色表現を支える、影の功労者
江戸硝子のルーツは、明治9年(1876年)に始まった国営硝子工場「工部省品川硝子製造所」にある。経営が難しく、民間委託などの変遷を経て、数年で事業は終了となった。
「硝子工場の経営は難しいんですよ。高い技術を持った職人も多く必要ですし、材料費もかかる。手間をかける必要がある。なにより炉は、365日ずっと火を入れていなくてはならないんです」
しかし、そこから腕のいい職人が育ち、江戸硝子職人としてそれぞれの道を進むようになる。同社もそのひとつ。優れた吹きの技術を持っていた創業者中村金吾は、2色の被せ(きせ)硝子の工法を変革した「ポカン工法」を編み出した。
「それまで2色硝子は透明な硝子と色硝子を別々に吹き、温め直して作るヨーロッパ伝来の工法で作られていました。初代は2色を同時に作り、薄く重ねる技法を編み出したのです。型から取り出すときに出る音から、ポカン工法と呼んでいます」

炉から色硝子を取り出し薄く吹き、透明な硝子を重ねて、一緒に吹きあげる。ポカン工法が生まれたことで、効率的に硝子を作ることができ、さらに色硝子を薄く吹くことができるようになった。
「ポカン工法により、花切子など江戸切子の薄い文様が映える薄い硝子を吹くことができるようになり、透明硝子のみであった江戸切子に色彩表現が誕生しました。創業者の中村金吾は、江戸切子の影の功労者と呼ばれています」


先代の手仕事を、受け継いでいく
3代目として、弟であり代表取締役の中村清吾さんと共に会社を受け継いだ道子さん。幼い頃から硝子が好きで、硝子工場でよく遊んでいたのだという。
「昔の職人は現在より荒い人が多かったので、『危ねえよ』とよく怒られていました。色別に分かれた硝子のくず置き場に入り込んだり、加工場を見て探検したり、硝子好きな子どもでした」
職人であった先代を母親が支えるなど、両親が硝子工場を営む姿を見ていた道子さんが家業を継いだのは、37歳のときだった。実はそれまではまったく別の世界に身を置いていた。犬のトリマーだ。手を動かして、動物と向き合う仕事にやりがいを感じていたが、実家である硝子工場の存続が危ぶまれたとき、彼女の中で何かが変わった。
「誰かがやらなきゃいけない。でも、私以外の誰かに、この歴史ある工場が守れるだろうか?」
湧き上がってきたのは、不思議な使命感だった。さらに、当時会社員だった夫・淳さんも「ものづくりがしたい」と一念発起。ゼロからの硝子職人の道を歩み始めたのだ。
繊細な技術を必要とする硝子職人は、最低10年以上の修業期間を要する。さらに同社は、江戸切子で削りやすいように硬度が高く、すぐ固まってしまう材料を使っている。ただでさえ難しい加工に、スピードが求められるのだ。
「被せは、本当に手間がかかり大変です。でも夫は修業を耐え抜いて、職人として、弟と共に2人で現場を一手に引き受けてくれています。その技術が認められて、東京都伝統工芸士、東京都優秀技能者(東京マイスター)にも選ばれました」

美しい銅赤の魅力を、次世代へと繋げる
中金硝子が、徹底してこだわり続けるのは、江戸硝子の色の美しさ。ポカン工法から生み出される中金色被せ硝子は他の工房では真似できない。なかでも一番難しいのが、「銅赤」と呼ばれる赤色。独自に開発した深く濃い重厚な銅赤を守り続けている。
「銅赤は、まさに生き物なんです」
銅と10種類もの金属・鉱石をブレンドして作るこの色は、成功確率が極めて低い。熱している間に変色したり、冷やす工程で予期せぬ色が出たり……少しでもタイミングが狂えば、美しい赤はたちまち濁った青に変わってしまう。
「材料費も高く、ロスも多い。それでも、この深く重厚な赤を作り続けたい」
初代が遺した実験ノートにある数多の失敗の記録が、その難しさを物語っている。しかし、落ち着いた色合いの銅赤は江戸切子には欠かせない。色の魅力を伝えるため、中金総合株式会社では次世代に向けた商品づくりも意欲的に行っている。
世界遺産に富士山が登録された2013年に誕生した「逆さ富士シリーズ」。2色被せの色硝子で作ったぐい吞みにシンプルな切子による模様が入っている。真上からのぞくと花火の模様、逆さにすると富士山の形。江戸硝子の色を作り続けてきた中金硝子ならではのプロダクトだ。
「フランスの方が買いに来てくださったり、最近はインバウンドで富裕層の方向けのツアーでお土産に購入してくださったり、海外の方にも好評をいただいています」


中金硝子の魅力は、伝統技術を使った「大人の本気の遊び」にもある。
たとえば、東京手仕事プロジェクトで生まれた「edomae」。 美しい銅赤の硝子に切子だけで刻まれているのは、なんと「マグロ」の模様だ。瑠璃色は「コハダ」、鮮やかな赤は「エビ」と遊び心を感じさせる。
「せっかくの美しい銅赤で、なぜマグロを?」と驚かれるかもしれない。しかし、このユーモアこそが江戸の“粋”。他の切子職人がやらないことに挑戦し、思わずクスッと笑ってしまうような愛着を、伝統工芸に吹き込んでいるのだ。
彩り豊かなグラデーションを楽しみながら、ヒヤシンスの球根やサボテンが育てられる「EDO AQUA GLASS」や、音色を増幅する特許技術とコラボレーションした硝子製のスピーカー「響奏(ひびか)」など。そこには、新しい技術を開発した初代のスピリットに通ずるものを感じる。
「職人なので、儲かる仕事ではないとわかっていても、綺麗だな、面白いなと思うと作ってしまう。仕事は面白さがないとね。苦しいこともたくさんあるのですが、ワクワクすることがなにより大切です」

硝子は、100年使い続けられる。捨てないものづくりを
美しい江戸硝子を守り続けてきた中金硝子が、これから挑戦していきたいのは、捨てないものづくりだ。硝子は、カブラと呼ばれる上部が廃棄されてしまう。さらに、色を重ねる被せ硝子は、再生利用が難しいと言われてきた。
その課題に挑戦したのが東京手仕事プロジェクト「翠角彩 sui-kaku-sai」だ。色の割合を一定にさせるため、カブラを細かく砕き、100%再生成分で発色した翠色<淡翠>、再生ガラスに色調合した<濃翠>の2色で、桝グラスを開発した。
「被せ硝子が混ざって生まれた再生硝子だからこそ、生まれる淡い色の硝子です。お酒を入れるとキラキラして不思議な魅力があるんです。水を入れたときに映り込む沈め彫りで桜の彫りを入れています」
環境に配慮しながら、美しい色を作る。中金硝子総合株式会社は、再生硝子を使った製品づくりも今後も挑戦していくという。
「一つずつ一つずつ異なる色の再生硝子製品を作ってみたいですね。これまで積み重ねてきた技術を駆使して、リサイクルでもきれいなをお届けできたらと思います」
江戸硝子の技術を受け継ぐため、若い世代への継承も続けている。インターンを通して、来年から職人を志す方の就職が決まった。取材の最後に「日本の工芸が元気になるためにどんなことが必要だと思いますか?」と問いかけてみた。
「世界中で、ものづくりの手仕事がなくなっています。その状況を変えていくために、大量生産で使い捨ての生活を変えていく必要があると思います。ご飯を食べるときは器で食べるなど、丁寧に味わいながら暮らすことで、ものに対する見方が変わると思うんです」
丹精込めて作られた江戸硝子は、割れなければ100年以上も使い続けることができる。中金硝子では、今日も美しい色の江戸硝子を、手仕事で丁寧に吹き続けている。


Text by 荒田 詩乃











