



400年続く銀師の流れを汲む日伸貴金属
タン、タン、タン──工房をそっとのぞくと、鍛金の音が心地よく響いている。静寂のなか、銀に向き合う上川善嗣さんは、銀師(しろかねし)と呼ばれる銀細工職人だ。
創業は、東京オリンピック開催と同じ1964年。日伸貴金属という名には、高度経済成長のなかで、事業が日毎に伸びてゆくようにという願いが込められている。
銀師の歴史は長く、そのルーツは400年前、江戸幕府お抱えの銀細工職人平田派にさかのぼる。尾張で七宝の銀細工職人平田道仁からはじまり、簪などの銀の髪飾りや、鎧兜など装身具の製作を一手に担っていた。
善嗣「平田派9代目平田宗道の一番弟子が私の祖父・市雄(宗照)です。当時平田派の跡継ぎがいなかったこともあり、日伸貴金属は名門である平田派の流れを汲む銀師として、伝統の重みを感じながら銀と向き合い続けてきました。ちょうど私で平田派12代目の銀師職人です」
歴史のなかで育まれた銀師の技術。しかしその歴史は変わらないものを守りながら、時代に合わせて変化していくことの繰り返しでもあった。
善嗣「時代に求められる銀細工のありかたを模索し続けてきました。明治時代に廃刀令があったときから8代平田宗幸の時代になると、新しく入ってきた西洋美術を取り入れようと、東京藝大の前進である鍛金工芸科祖師帝室技芸員として、鍛金技術を伝えたり作品を出展しました」
銀師の技術の本質は変わらない。でも時代に応じて、求められるものを調和させていく。松尾芭蕉の“不易流行”という言葉を、善嗣さんは座右の銘に掲げている。

タンタンタンと、鍛金の祈りの音色とともに育つ
9代目平田宗道氏に認められるほど偉大な職人であった祖父10代目市雄(初代宗照)さんの面影を、善嗣さんは覚えている。幼い善嗣さんを膝に座らせて、鍛金作業を見せてくれたという。
善嗣「タンタンタンと、その鍛金の音が心地よかったことを幼心に覚えているんです。こんな音をいつか自分も出せたらいいなと、祖父を追いかけながら、今も日々鍛錬を重ね銀師職人をしています」
鍛金の音は、いつでも暮らしのなかにあった。4人兄弟の長男でもある善嗣さんは、自然と銀師になりたいと思うように。高校を卒業して社会経験のために金属加工会社で働いたのち、20歳で家業に入ることを決めた。
善嗣「ひとつのきっかけとして、母が体調を崩してしまい、兄弟も幼く生活が厳しい状況になってしまったんですね。銀師や地域のために貢献したいという昔からの想いを実現するタイミングが来たのだと思いました」
職人としての道を歩きはじめた善嗣さん。しかし想像していた以上に厳しい修業が待っていた。さまざまな流派の銀細工職人に教わる組合主催の後継者育成事業に参加したのだ。
善嗣「親方によって手順も使う道具も違う。前の親方に教わったやり方で作ると、先生が変わったとたんに『誰から教わったんだ!』と怒鳴られてしまうことも。毎回ゼロからのスタートでしたが、ものづくりが好き、自分に負けたくないという想いで食らいついていきました」


銀師の根幹である“ならし打ち”を伝えていく
長い間銀に向き合い続けることで、得た実感がある。銀師の根幹は、鍛金作業だということ。特にならし打ちと呼ばれる技法は、すべての根幹にある。
善嗣「一見地味な取り組みですが、呼吸と同じぐらい大切です。5本指で金槌を持って中指で押すように打っていく。そこから、手首、肘、肩、首筋、背筋、腰、足と身体感覚が連動していくイメージを繋げていくんです」
叩くことで分子構造が変化する銀は、金槌の当て方で形が変化していく。基本を身につければ、道具を選び、材料がどう変化していくかを見ることで、さまざまな形や模様などに応用させていくことができる。
善嗣「心や呼吸が乱れては、芯のあるいい音で叩けない。若い頃は先輩に指導いただくと委縮して叩けなくなったこともありました。自分の気持ちを整えて、呼吸するように叩くことで、よいものを作ることができる。道具のように、自分自身を鍛える感じもあるんです」

銀細工の魅力を多くの方に伝えたいと、17年ほど前からはじめた体験事業のワークショップでも、その基本を教え続けている。
善嗣「スプーンやカップなど、日常で使える製品を作るのですが、大事なのは鍛金を体感してもらうこと。私が何十年もかけて身に着けてきたことが伝わるプログラムに組み立てています」
世界中から年間3,000人もの人が銀細工を教わりに日伸貴金属を訪れる。いろいろな職業の方に銀細工を伝えるなかで、新しいことを発見することも多いのだそう。
善嗣「ギタリストはまるで速弾きのように、ピアニストは鍵盤を弾くように金槌を叩く。編み物をされている方は繊細な柄を打ったり、宮大工の方の手さばきがかっこよかったり。当て所が体で理解できていて、自分の呼吸に合った形で打てばうまくいく。ワークショップを通して、私が教わることも多いんです」


次世代へ受け継がれる覚悟と、新しい挑戦
日伸貴金属には、新たな風も吹いている。善嗣さんの息子である宗氣さんが家業を継ぐことを決心したのだ。20歳を迎えたばかりの宗氣さんは、承継に戸惑いもあったのだという。
宗氣「昨年2月に父が倒れ、祖母が亡くなり、祖父も高齢で現役を続けるのが難しく、継ぐかどうかギリギリの選択に立たされました。その時400年前の職人のことを考えたんです。たくさんの職人が次の世代のために人生を捧げて、後世に技術が残っている。すごいことですよね」
長い時間伝統を繋いできたことの凄まじさに気づいたとき、その想いを受け継いで、先代に恥じないように自分に何ができるかと考えるようになった。そこから銀細工のブランド「合同会社銀伝堂」を立ち上げたのだ。
宗氣「99.9%純銀を使い、鍛金することで、銀製品を作り上げる技法は世界では珍しい。技術を受け継いできた先代への想いを込めて、現代を生きるお客様の日常に何を添えられるか、ブランドとして今後展開していきます」

長い時間をかけて職人たちの想いは受け継がれ、生み出されるものは時代に合わせて求められる形で少しずつ変化をしていく。
善嗣「職人の高齢化もあるし、業界自体が閉鎖的という問題もあります。変化させられることは変化させる、でも本質的なところは変えない。そのバランスがこれからのグローバルな時代の職人に求められることだと思います」
すべては受け継いできたものを、次世代へと繋げていくためにある。現代を生きる銀師たちの新しい挑戦は、はじまったばかりだ。


Text by 荒田 詩乃











