

60年の職人歴が語る「生きている」塗料の正体
作業場には独特の緊張感が漂っている。中島さんがヘラで漆を練る手つきは、長年の経験に裏打ちされた無駄のない動きだ。中島さんは、漆という素材の性質を「生きている」と表現する。
「漆がどのくらい優れているかというと、サルモネラ菌や大腸菌といったあらゆる菌を漆の上にのせると、そのほとんどが死滅してしまうわけです。24時間でね。他の塗料では菌が増えていくけれど、漆には殺菌作用がある」
かつて冷蔵庫のない時代に、重箱に入れたおせち料理が10日も持ったのは、この強力な殺菌作用によるものだ。
しかし、その優れた特性を引き出すためには、漆という「生き物」のご機嫌を伺うような繊細な扱いが求められる。特に乾燥の工程は一筋縄ではいかない。漆の硬化は化学変化によるものであり、水分と温度の条件が非常に大切になる。つまり、季節や天候によって乾き方が劇的に変化するのだ。
無理やり乾かそうとすれば失敗し、環境を整えてその特性を尊重してやれば素直に育つ。「漆は子どもと同じ。無理強いは禁物」。60年という歳月を漆と共に過ごしてきた中島さんの言葉には、素材をコントロールするのではなく、素材に寄り添う姿勢が滲み出ている。
材料費は10倍! 「漆は血の一滴」と言われても日本産を使う理由
漆器の美しさを支えるのは、職人の技術だけではない。使用する道具や材料への徹底したこだわりも、品質を決定づける重要な要素だ。たとえば、中島さんが使用する刷毛は、女性の髪の毛で作られた特注品である。
「昔からこれ以外には使っていません。『本通し』といって、毛が柄の奥までずっと入っているんです。毛先がダメになったら、柄を切り出してまた使っていく。これで10年ぐらいは使えます」
さらに深刻なのが、漆自体の価格高騰だ。特に日本産の漆は、中国産に比べて採取量が圧倒的に少なく、価格も桁違い。中島さんは「漆は血の一滴」という古くからの言葉を引き合いに出し、その希少性と価値を強調する。
それでも日本産の漆にこだわり続けるのは、化学塗料では決して到達できない美しさがあるからだ。

分業はしない。「1から10まで1人でやる」江戸漆器職人のプライド
「漆芸中島」が継承する江戸漆器には、輪島塗など他の産地とは異なる大きな特徴がある。それは、分業制ではなく、1人の職人が全工程を担うという点だ。
「漆器の場合、江戸の職人はだいたい国家検定の一級技能士を持っています。一級建築士と同じようなものです。我々で25人ぐらいいるかな。なぜかと言うと、江戸の職人は全工程を1人で仕上げるからです。1から10までやる」
このスタイルは、江戸という都市の歴史的背景に由来する。参勤交代で江戸に集まった大名たちが、娘の嫁入り道具をあつらえるために職人を求めたのが始まり。急な注文や細やかな要望に応えるため、1人の職人が全責任を持って作り上げるスタイルが定着したのだ。
「うちの場合は、江戸に幕府が移って、その周りに大名が参勤交代などで住み着いたことが始まりです。大名に女の子、つまりお姫様が生まれると、同時に嫁入り道具を作ったわけです。その名残で、代々続く老舗が残っています」
しかし、時代とともに嫁入り道具の需要は減少し、生活様式も変化した。かつて寿司屋で一般的だった漆塗りのつけ台も姿を消していった。しかし中島さんは時代の変化をただ嘆くのではなく、自ら営業に回り、新たな活路を見出してきた。
「昔は漆器問屋が100%買い取ってくれないと困るわけです。営業というのは普通、職人はしないものと言われていましたが、能書きばかりで『俺は腕がいい』などと言って足を動かさない職人が多いなかで、私は自分で動きました」
従来の職人のタブーを破り、合羽橋の道具街へ飛び込み営業を行った。
「自ら行ってみたら、全部仕事をくれました。それから何年かは寝る間もないほど仕事がありましたね」
伝統を守りながら挑む、現代のデザインとの融合
現在、中島さんは伝統的な器だけでなく、現代のライフスタイルに合わせた新しい漆器の制作にも意欲的に取り組んでいる。東京都のプロジェクトでデザイナーと協業したり、六本木の東京ミッドタウンで開催されたイベントでは、自ら実演を行い、漆塗りのネックレスやピアスといったアクセサリーを披露したりと、その挑戦は留まることを知らない。
「デパートやなんかで実演していると、『このきれいなアクセサリー誰が作ったの?』と聞かれるんですが、『俺に決まってるじゃないか』って言い返してやるんですよ(笑)」
これからの伝統工芸
材料費の高騰や後継者不足など、伝統工芸を取り巻く環境は厳しさを増している。かつては50〜60人いた組合の職人も、現在では12人程度にまで減少しているという。技術を習得するには長い年月が必要であり、「仕事は盗め」という師弟関係が当然だった時代からの変化を経て、その厳しさに耐えうる若者を育てることは容易ではない。それでも中島さんは「分かってくれる人がいればいい」と達観した笑顔をみせる。
「漆は生きている。だからこそ、思い通りにはならない」
手間がかかっても愛情をかけて作り、時を経ても手入れをして使い続ける。24時間で菌を死滅させるほどの強靭な生命力を持ちながら、扱うには辛抱強く寄り添う子育てのような姿勢が必要な「漆」。その自然由来の不自由さと向き合い続けた職人の哲学は、効率化を急ぐ私たちが忘れかけている「ものを愛でる」ことの本質を問いかけている。











