



工業デザイン一筋だった
取材は、金沢にある中川さんの工房兼自宅で行われた。2023年にパナソニック汐留美術館で開催された展覧会「中川衛──美しき金工とデザイン」の図録を取り出しながら、中川さんは自身の出発点を語り始めた。
「金沢美術工芸大学に進学し、工業デザインを専攻しました。その関係で、卒業後に松下電工(現パナソニック)に就職して、美容家電製品のデザインを担当してきました。
世の中にないものをつくるということで、流行物を追いかけたり、有名建築を見に行ったりしていましたね。
いろいろなデザインを見てきたけれど、当時は伝統工芸とはほとんど縁がなかったかな」
「加賀象嵌」との運命的な出会い
中川さんは27歳で松下電工を退職し、県の工業試験場に勤務する。デザインの引き出しを広げるために、県立美術館で開催されていた展覧会へ足を運ぶが、そこで「加賀象嵌」との運命的な出会いを果たすことになる。
「江戸時代の武士と聞くと、刀を腰に差しているイメージが強いでしょ。でも、彼らの持ち物は意外とおしゃれなものが多くて、陣羽織を見たときには感動しました。
展覧会では、鐙(あぶみ)という乗馬した際に足を乗せる金具が展示されていてね。そこに施されていたデザインの美しさに圧倒されてしまって。しかも、同じような模様が鎧兜や刀の鍔(つば)にも描かれていて、これは一体何なのだろうと興味を持ちました。
近くにいた人に聞いてみると、石川県の伝統工芸である『加賀象嵌』だと教えてくれました。『象嵌』という、金属の表面を彫って、そこに別の金属をはめ込むことで模様を浮かび上がらせる工芸があると、そのとき初めて知りました。
話を聞いていくうちに、『そんなに興味があるなら実際にやってみないか』と誘われ、鏨(たがね)という彫り道具と金鎚を借りたのが最初の一歩でした。その人が、私が師事することになる加賀象嵌の技術保持者、高橋介州先生だったのも、何かの運命だったのでしょう」
こうして、何気なく展覧会で出会った象嵌に一目惚れした中川さんは、右も左もわからない状態から工芸の道に足を踏み入れることになった。

写真撮影:大屋孝雄 写真提供:パナソニック汐留美術館
ものづくりが好きな幼少期
0からのスタートだったとはいえ、いまでは《象嵌朧銀花器 「チェックと市松」》に代表される非常に繊細な作品を制作する中川さん。大学からデザインを学び、伝統工芸に携わるという芸術の道を進んだのは、どうやら幼少期の経験が関係しているようだ。
「小学校の4年生か5年生だったと思います。当時、竹ひごでつくる紙飛行機があったんですよ。それが好きでね、説明書を見ながら一生懸命組み立てました。でも、説明書通りにやると遠くまで飛んでくれないんですよ。そこで、幼いながらも頭を使って、いろいろと改良を加えていきました。
軽量化のために、軸になるしかくい木部を三角形に削ったり、動力となる輪ゴムの設置方法を変えたり、思いつくものは何でも試したと思います。
そう考えると、デザインや立体物を制作するのは好きな少年だったかもしれません」

象嵌の楽しさにのめり込む
興味を持ったものには徹底してこだわりを見せる中川さんは、象嵌の道に入ってもそのスタンスは変わらなかった。
「昔は、工芸の作家さんと話をするのも好きじゃなかったです。いろいろ聞かれたときに、自分の知識のなさが出てしまいますからね。糸鋸の刃を付けるときに向きを間違えたことがあって、『それは違うよ』って指摘されたときは、本当に恥ずかしかった。
そうした経験もあって、自分で本を読んだり、ときには恥を忍んで人に聞いたりしていくうちに、いつの間にか工芸にどっぷり浸かっていました。次第に『途中でやめたくないな』、『作品づくりをしているのが楽しいな』と思えるようになって、いまも続けています」
このように話してくれた中川さんは、心の底から『加賀象嵌』の制作を楽しんでいるようだった。だが、その楽しさの裏には並々ならぬ努力があり、伝統工芸を背負う職人としての覚悟があった。

象嵌朧銀花器 「チェックと市松」
(次回は、中川さんが試験場での勤務の傍ら、夜を徹して象嵌の制作に取り組むなかで見出した人生の気づきをお送りします。)










