



弟子が増える喜び
かつて中川さん自身が高橋介州先生の下で修業をしたように、いまでは中川さんの教えを受け継ぐお弟子さんも出てきた。伝統工芸に携わる人が増えたいま、こうした状況は想像すらしなかったという。
「弟子というと、大学で教えていたときの学生さんや、川本敦久先生が運営している金沢卯辰山工芸工房で教えた人たちがいますね。それに、いまも金沢職人大学校で教えていますから。こういうところから職人になっていく人が出てきて、大変うれしいですよ」
感慨深く語る中川さんの口調は、自身が職人の道に入ったときに孤独な思いをしたからなのだろう。
「私が工芸を始めたときは、金沢には2人しか象嵌職人がいませんでした。このままでは、金沢から象嵌がなくなってしまうのではないかと不安になったほどです。でも、私が工芸の道を選んだことを先生たちは喜んでくれてね。
ですから、工芸に携わる人が増えてきたいまの状況は、昔じゃ考えられなかったですよ」
現代アートに匹敵する伝統工芸
中川さんは、高橋先生から教わった「いまの時代に合った新しいデザイン」を探求する大切さを語り継いでいる。特に、海外展開も見据えた作品づくりの視点を、ご自身の経験も交えて伝えているようだ。
「60代になって、初めてニューヨークのアートフェアに出展しました。そのうちの1点をメトロポリタン美術館が購入してくれました。
すると、ギャラリーにも『どこで作品が買えるのか』という電話がかかってくるようになって、その影響力の高さに驚きました」
これを契機に、ニューヨーク、台湾、パリ、ロンドンなどにも作品を展示するようになった。中川さんは、国内と海外では受容のされ方が違うことに気づいたという。
「海外の大半の人たちは、象嵌を知りません。これは何だと聞かれて、象嵌だと教えると、『beautiful !(美しい!)』と言って、作品を購入してくれるんですよ。心に訴える作品は、手元に置いておくという習慣があるようです。
一番驚いたのは、台湾で作品が展示されたときかな。現代アートの隣に私の作品が置かれていてね。こういう見せ方もあるのかと、驚いたと同時にうれしくもありました」


象嵌朧銀花器「夕霽」
どの分野でも人の心を動かす作品づくりを
現代アートにも造詣が深い中川さんは、年々変化していく技法や見せ方に注目しているという。そうした過去にとらわれず、新しい表現を追求する現代アートに自身の作品が並べられたことで、あらためて工芸品そのものに向き合うようになった。
「作品とは何かって思うことがあるんです。技術が優れているかどうかは二の次なんですよ。作品を見たり手にしたりした人に癒やしを与えたり、使ったときの楽しさが与えられなければ駄目。伝統工芸は、それを昔の技術を使って表現しているだけなんですよ」
現代では、伝統工芸品を使わずに、展示しておくだけの人も多い。だからこそ、目で見て楽しむという次元にまで作品の魅力を拡張させなければならず、そのためにつねにアンテナを張っていると中川さんは語る。
この考え方はお弟子さんにも伝えているようだが、それは伝統工芸に限った話ではなかった。
「私は伝統工芸の道に入ったけど、若い人たちにみんな伝統工芸をやってほしいとは一切言わないです。
それぞれ興味のある分野は違うでしょ。ジュエリーをやる人もいれば、建築に向き合う人もいます。どのような分野であれ、それぞれの道で素晴らしい作品をつくり続けてほしいです。それが産業の土台となっていきますから」
これから人間国宝になる
これまで多くの人との出会い、海外での経験、伝統工芸に対する多様な考えの受容など、目まぐるしい半生を送ってきた中川さん。人間国宝になったいま、あらためて伝統工芸や加賀象嵌にどのように向き合っているのかを聞いてみた。すると、驚きの返答があった。
「私はね、これから人間国宝になるんだっていう気持ちでいるんですよ。そうでなければ、これ以上人として成長できないと感じているので。このまま鎮座していたら駄目なんです」
中川さんが人間国宝になったのは、57歳のときだった。現在77歳になる身であっても、その向上心はとどまることを知らない。
「工芸に携わる人は、誰しもが人間国宝になりたいと思って、作品づくりを続けているはずです。でも、人間国宝って、伝統工芸の技術を守るだけではなれないんですよ。デザインも秀でたものでなければならず、それは日々進化していくものですから。
だから、次はどんなデザインにしようかってことばかり考えています。次回の伝統工芸展は『これって伝統工芸なの?』と言われるようなね、落選してもいいから攻めたデザインで制作するつもりです」
人間国宝となったいまもなお、中川さんはいまの自分を超えていこうという姿勢を崩さない。伝統工芸の未来を切り開き続けるその姿は、彼が歩んできた半生を知ればこそ、深く納得できる。一貫した信念と柔軟なスタイルこそが、中川さんを唯一無二の存在にしているのだった。











