


失敗こそ成功の始まり
「豚もおだてりゃ木に登るって言うでしょ」。お金も時間もかかる象嵌制作を、いまも続ける理由をそう話してくれた中川さん。作品が受賞するようになり、次も頑張ろうという思いで制作を続けてきたと謙遜しながら話してくれた。
自家薬籠中のものとした象嵌の知識や技術の裏側には、数え切れない失敗があったという。
よく言われることですが、「失敗は成功の始まりです。失敗を繰り返すことで、初めて自分の知識になり、技術を身につけることができると思っています。本に書いてある通りに実践してみても、できないことって、たくさんあるんですよ。嘘が書いてあるんじゃないかって、疑ったくらいですから。
一番苦労したのは、金属を発色させる技法です。硫酸銅と緑青を混ぜた液体のなかで作品を煮るのですが、本には、高温で煮るとこげ茶色になるとか、薬剤の配合率によって色が変化することから注意してくださいと書いてあるんですよ。でも、具体的な数値などは書かれていません。
だから自分で温度を変えてみたり、薬品の濃度を変えてみたりして、納得の色が出るまで繰り返すしかなかった」
その失敗の数は想像に難くない。「いまですら失敗するから、誰か教えてくれないかな」と心情を吐露してくれた中川さんの言葉の裏には、象嵌の奥深さが横たわっていた。
ハイカラなデザインであれ
本に書かれている曖昧な知識は、試行錯誤を繰り返すことで確固たるものとして身につけられる。ところが中川さんは、工芸は決して技術だけが評価されるものではないとも話してくれた。
「高橋先生には、常々ハイカラなものをつくるようにと教えられてきました。ですから、作品を持っていくときには、必ず図案も持参して確認してもらいましたね。
先生は明治生まれだったので、ハイカラといえばどこにもない作品を指していたと思います。要は最先端のもの、人々に楽しんでもらえるものをつくれということだと感じていました。
それは、加賀象嵌という伝統工芸を扱うからといって、デザインも昔のままでは駄目だという警告だったのだと思います。昔はあくまで昔、その時代はもう過ぎ去ったんだと。
このご時世、日本の伝統文化を守るためにちょんまげにする人や刀を差して歩いている人なんていないですからね。
それと同じで、加賀象嵌も現代の生活に合わせてデザインをしていく必要があります。新しいもの、人々の生活に寄り添うものを設計するという点では、デザイナーとしてこれまでやってきた経験が生きていると感じます」


象嵌朧銀花器「チェックと市松」
現代の美、その場所に合わせた作品づくり
美大を出て、松下電工で工業デザイナーとして働いてきた知見が、巡り巡って工芸の造詣をも深めることになった。その経験もあってか、「デザインはかっこいいものをつくるだけが目的ではない」ということも実感していたようだ。
「作品をつくり続けてきてよかったなと思うのは、その作品を手に取った人たちが、感動したり喜んだりしてくれることですね。その感性は国や展示される場所によって違うから、それぞれの地域でどのようなものが愛されているのかを勉強していかなければなりません」
たとえばアメリカで展示がある場合は、アメリカ人がどういったものに美を感じるのかを念頭に置くという。実際に中川さんがアメリカでの展示を意識して制作したものが、《象嵌朧銀花器「NY. 7:00 o'clock」》だ。その名の通り、ニューヨークを舞台にした作品だが、デザインにはどういった狙いがあるのだろうか。
「これはニューヨークに行ったときに、マンハッタンで見たビル群の美しい風景をイメージしたものです。7時の朝焼けと19時の夕焼けが窓に反射している姿を、金属の微妙な色の差で表現しました。
この作品を見たアメリカの小説家の女性が、泣いて喜んでくれたんですよ。うちのビルから見える風景とまったく一緒だって言ってくれて、作品の持つ力を感じましたね」
これこそが、中川さんの考える伝統工芸の作品のあり方なのだろう。もちろん、これを可能にするのは、試行錯誤によって身につけた技術や伝統工芸に対する斬新な考え方に拠るものだ。
加賀象嵌に新たな息吹を吹き込むのは、過去にとらわれないチャレンジする精神なのだった。

象嵌朧銀花器「NY. 7:00 o'clock」
(第4回は、中川さんの作品を代表する洗練されたデザイン、既存の概念にとらわれないものの見方を身につけるきっかけとなった、海外での経験をお送りします。)










