



海外で出会った自然の美しさ
ここまで中川さんが語ってきた象嵌に対する考え方は、どこからきたものだったのか。それに大きく関わるのが、海外での経験だったようだ。なかでも、トルコの影響は強く受けているという。
「三鷹市に、中近東文化センターという場所があります。当時『イスラム圏の商人と職人たち』という研究がされていて、私も調査に加わらせていただき、毎年のようにトルコに飛んでいましたよ。
ここぞとばかりにスケッチをしましたね。トルコに行ったその足でブルガリアに寄ったときには、目の前に広がる草原と森の美しさに心を奪われました。
だんだんと日が沈んでいき、西と東の空の綺麗な明暗はいまも脳裏に焼き付いています」
その風景を作品に落とし込んだのが、《重ね象嵌朧銀花器「草原の森」》だった。銀や四分一(しぶいち)という銀と銅の合金などを使用して、見事な明暗を表現し、時の流れを表した作品となっている。

重ね象嵌朧銀花器「草原の森」
日常にあるものからインスピレーションを
自然をスケッチしていくなかで、「アイディアはいたるところにある」という気づきを得られたと中川さんは振り返る。それを教えてくれるかのように、スケッチブックを手に取り、おもむろにペンを走らせた。
「たとえば、柿の種をよく見ると左右の曲線が違い本当に美しい形状をしています。部分部分の曲線が微妙に異なっていて、それが繋がりいい形を出しています。
この作品もあるものを見て制作したものですが、何だかわかりますか。実は餃子なんですよ。ちょうど餃子を食べていると、餃子の中身の包まれた膨らみがおもしろくてすぐにスケッチしましたよ」
こうしたスケッチブックは、デザインを描き留めるだけでなく、アイディアを数多く展開することにも使えるという。
「あるとき大英博物館から、タータンチェックの作品をつくってほしいという依頼がありました。
ですが、依頼通りに制作するのが嫌でね。タータンチェックが波打っていたり、風になびいていたりするスケッチをたくさん描いてみました。
どうしたものかと悩んでいると、ふと日本の市松模様が頭をよぎって、そこから《象嵌朧銀花器 「チェックと市松」》という作品が誕生しました」
このように話しながらも、スケッチをする手が止まらない中川さんの姿は、これぞ職人の仕草という印象を受けるものだった。
「若い人に伝えたいのは、アイディアはそこら中にあって、それを感じ取れるようにならないと駄目だということです。私は、どこへ行くにも必ず小さいスケッチブックを持っていきます」

デザインの引き出しと掛け合わせ
スケッチブックの役割やアイディアの出し方など、包み隠さず話してくれた中川さん。そのうえで、若者にもうひとつ伝えたいことがあるという。
「ものをよく見る、そしてデザインの引き出しを広げるということを意識してほしい。
工芸に携わる人は、工芸の展示しか見ないんですよ。しかし、自動車ショーや住宅展示会など、普段の仕事とはまったく関係のないものを見に行くと、思わず新たな着想が得られると思います」
そう話す中川さんは、自身のスケッチブックのなかからある風景画をデッサンしたものを見せてくれた。
「これはデンマークからスウェーデンに行く途中に、列車の窓から見えた唐松林と多くの湖を描いたものです。工芸とはまったく関係のない風景ですが、風景を変化させたり、その水面に反射する光や波を作品にしたこともあります」
中川さんは、惜しみなく自身の作品の裏側とそのアイディアの源泉を語ってくれたが、いずれも自然や風景をテーマにした作品が多いことに気づく。それは「加賀象嵌」という言葉から想像する幾何学的な模様とは一線を画すものだった。
象嵌と自然の組み合わせという考えに行き着いたのも、やはり海外での経験だと中川さんは振り返る。
「イスタンブールのモスク(礼拝堂)に行ったときに、青色のタイルを使ったアラベスク模様を見ました。それが私にはなんだか冷たく感じられたんですね。自分の作品も、見る人によってはそのようにとらえられるかもしれない。それは嫌だなと思いました。
象嵌は、基本的に幾何学模様で単調です。それならば風景を描いてみようと思ったんですね。でも、日本画や油絵のようには描けないから、象嵌の幾何学と自然をうまく組み合わせてみようと思い、いまのスタイルに行き着きました」
中川さんの「伝統と革新」としか言い表せないようなデザインは、まさに高橋先生の教えでもある現代に合わせた美に繋がるものだった。現在は、動物をモチーフにした置物や結婚指輪など、古典的な枠にとらわれない自由な発想で制作を続けている。

(最終回は、中川さんの人間国宝としての自覚、そして次世代へのメッセージと伝統工芸に込めた思いをお送りします。)










