


師匠・黒田乾𠮷との出会い
宮本さんの師匠となる黒田乾𠮷さんの父親は、木工芸で最初の人間国宝となった黒田辰秋さんだ。宮本さんはなぜ黒田さんのもとに弟子入りすることができたのか。話を伺うと、それはまさに運命的な「縁」の連続だったようだ。
「中学生の頃かな。それだけ木工が好きなら、黒田さんのところに弟子入りするかと親父がよく言っていたんです。親父は会社で黒田辰秋さんと仕事で交流があって、よく知る間柄だったようですが、僕には誰のことやらで。
その後、そうした話をすっかり忘れた頃ですね。美大進学の入試対策で絵画を学んでいたときに、そのアトリエの経営者が黒田乾𠮷さんと知り合いだったようで、うちのアトリエで木工を目指している子がいるんだけどって話をしてくれました。後になって分かったのですが、親父の言っていた黒田さんって、この人たちのことかと繋がりました」
宮本さんは、まるで生まれた頃から、乾𠮷さんのもとで修業する運命だったかのように感じてしまう。
住み込み10年、無給での修業
大学進学のために浪人生活を送っていた宮本さんは、3浪の後、大学を諦め、乾𠮷さんからの誘いを受けて弟子入りを決める。人間国宝を父に持つ工房での修業風景というのは、どのように想像したらいいのだろうか。
「弟子入りするにあたって、いろいろと条件がありました。それは10年間の住み込みで、しかも無給で作業をするというものでした。工房は僕の実家からバイクで20分くらいの距離だったので通うこともできたんですが、それでは駄目だと言われてしまい」
やはり弟子入りとなると、師匠と24時間付きっきりで生活し、技を盗むというものなのだろうか。さらには10年も無給でというのは、相当な覚悟が必要だったと想像するが、宮本さんは目の前に集中するのが精一杯で、辛抱できるかどうかはまったく考えなかったという。今になって振り返ってみると「師匠はただ、話し相手が欲しかっただけじゃないかな」と笑い話のように語ってくれた。

「人の手でしかできないことを」という師匠の教え
この修業期間に、技術的なことだけでなく、木工芸を制作するにあたっての心構えを学んだという。10年という歳月の中で教わった技術のすべてが、ひとつの教えに繋がっていく。
「師匠がよく言っていたのは、作品を作るときに、木をきれいに削りたいとか、寸分の狂いなく組み立てたいなどと思うかもしれないけど、それは機械でもできる。そうした過程に人の手を加えて、いかに魅力あるものに作り変えるかが職人の手仕事なんだと。これは今でも心に刻んでいます。
とはいえ、それでも修業時代は技術を学ぶのに精一杯でした。1つの作品を制作するのにかなりの時間をかけますからね。もちろん、うまくいかないこともたくさんありました。失敗して、失敗して、ようやくひとつを学ぶといったことを繰り返す日々でした」
木に寄り添い、自由な制作過程を楽しむ
「魅力ある作品」として感性に訴えるためには、さまざまな技法や技巧があるのだろう。だが宮本さんは、そうした技芸よりも大切なことがあるという。それが「プロセスを楽しむ」というものだった。
「ものづくりの楽しさは、師匠に言われた通りに行動するのではなく、自分ならどうするか、どうやったらうまくいくだろうかと考えるプロセスにあると思っています。同じ作品を同じやり方で作るのではなく、更に良い方法を考えたり、道具を作ったりすることがオモシロイものなのです。
弟子入りの頃や、40代頃までは、しっかりとした図面を描きました。図面を書かないと仕事ができないと思っていましたから。でも木を知れば知るほど、図面が書けなくなりました。
たとえば、がんじがらめの図面を描くと30cmの幅が欲しいのに、手元にある材料だと29cmしか用意できないと。そうなると、仕事ができないとか、新たに材料を買ってくる必要が生じます。
でも、図面がなければ、手元にある材でなんとか工夫して作業しようとするものなんですよ」
幼少の頃からものづくりをしてきた宮本さんにとって、ものづくりは自分の興味や必要に迫られて、自由に制作するものだった。その背後には、木工というのは自然の材料を相手にするものという考え方があった。
「木というのは、天然のものです。自然のものに対して僕らの規格を当てはめるのは正しくないと思います。木工芸は自分たちの都合で作るものではないのですから、あくまでも手に入った木をどのように加工したら、その木を一番活かせるかというのを考えて作業しなければならないと思うのです。
大きな材を都合に合わせて切り刻むことは私にはできません。今は作業するときには厳密な図面を用意するのではなく、アイディアスケッチのようなラフ画を用意する程度にとどめて、制作に取り掛かっています」
人の手でしか表現できない魅力、そして自然の木に寄り添った作品づくりという数々の教えを受けながら、あっという間に10年が過ぎ去ったという。
「師匠も僕も、10年経ったとは言わなかったですね。それでも、いつかは独立しなければならなかったので、いつでも師匠のもとを離れられるように、自分の工房は早い段階で建てていました」
こうして宮本さんは師匠・黒田乾𠮷さんの教えを携え、独立への道を歩んでいく。だが、それはこれまでとはまた別の苦難の道でもあった。

(第3回では、独立直後の駆け出しの頃の宮本さんの生活と、オリジナルの手法を模索しながらも、身に染み付いた師匠の教えとの葛藤が語らます。)










