



瓦の可能性を模索し、オリジナル工芸品の製造を開始
御社の創業の経緯と、瓦の工芸品を製造されるようになったきっかけを教えてください。
弊社は300年以上続くいぶし瓦の窯元で、私は10代目です。屋号は5代目の小泉貞吉の時代から、「菊間町の貞吉」という意味で「菊貞」と名乗っています。
現在、屋根瓦は「小泉製瓦」として展開し、工芸品には「菊貞」の刻印を入れています。小さい工芸品にも刻印しやすいように短い名前を考えた結果、原点である屋号を使いつつ新しい発信をしていきたいという思いでこの名前を採用しました。
瓦を使った工芸品を作り始めたのは15年ほど前のことです。きっかけは時代とともに屋根瓦の需要が減少してきたことが大きかったですね。
お客様から「瓦でお皿を作ってもらえませんか」と依頼されることもありましたし、窯で瓦を焼く隙間を活用して、まずは小物から作ってみようと考えました。

御社の瓦工芸品にはどのような特徴がありますか? また、瓦製品を作る際に特に気をつけていることを教えてください。
私たちが作る菊間瓦の工芸品は、重さは均一にしていますが、造形の際に型を使いません。一つひとつ手作りするので、世界に一つとして同じものができないんです。それが他の工房と大きく違うところだと思います。
特に大切にしているのは、見えない部分にも意識を向けて作ることです。粘土のちょっとしたシワから亀裂が入ったりするので、何度も手を加えて綺麗に成型するよう気をつけています。
また、コースターやタイルなどの平らな製品では、乾燥中の反りを考慮して、成型の際にあえて反対側に曲げておくんです。そうすると、乾燥に合わせて徐々にまっすぐになっていきます。ただし、いつも狙い通りになるわけではなく、反対側に曲がったままになってしまうこともあります(笑)。
コースターやタイルの柄によって曲げる角度も変えないといけないので、まず何枚か作ってみて、乾燥の様子を確認してから制作を進めていきます。
品質を保つためには、一つひとつの工程を丁寧に行うことが重要だと考えています。


サウナストーン、コースター、食器──素材や焼き方を研究し、多様な瓦製品を展開
菊間瓦の製造工程について教えてください。
まず、原土と水を混錬機で混ぜてから約10日間寝かせます。次に真空土練機を使って空気を抜き、瓦の形に成型する前の粘土である荒地を作り、再度寝かせます。その後、屋根瓦やタイルなど用途にあわせて成型し、5日ほど乾燥させて焼いていきます。
窯の火がついている時間は13時間です。火が消えてから自然に冷めていくのを待つので、窯を開けるのは火をつけてから3日後になります。
特に技術が必要となるのは、成型の際に継ぎ目を磨く工程です。亀裂が入りやすい箇所を見極めながら作っていくので、長年の経験が必要になります。急激に乾くと亀裂が入りやすいため、乾燥が早い夏場はひときわ注意が必要です。

屋根瓦と工芸品で製法に違いはありますか?
菊間はいぶし瓦の産地なので、屋根瓦は基本的にいぶし一色です。そのため、工芸品にする際には釉薬を使わずに色のバリエーションを増やそうと考え、試験場(愛媛県産業技術研究所)と協力して焼成の温度を研究しました。
まず、電気窯を使い、従来の瓦の製法より高い温度である1120度で焼き締めたあと、いぶしをかける大きな窯で1000度で焼いて、再度電気窯で550℃で酸化焼成し黒っぽい色が出ます。
その他に再度焼成する温度を1000℃で焼きあげると茶色っぽい色味になります。
微妙な温度差や窯の中での配置によって色合いが異なるため、まったく同じものはできないんです。
また、「瓦膳(がぜん)シリーズ」のお皿については、焼く際の温度を変えています。いぶし瓦は本来10%ほど水を吸うので、そのまま食器にすると調味料の跡がついてしまいます。そこで試験場と研究を重ね、高温で焼き締めることで吸水性を抑えることに成功しました。
一方、「敷(しき)シリーズ」のコースターでは、グラスを置く真ん中の部分にいぶしを施さないことで、10%よりさらに吸水性を高めています。


用途によって最適な製法を研究されているんですね。
そうですね。まだ製品化はできていませんが、耐熱材料を使ったお皿も開発中です。これはお客様から「直火焼きができるお皿はありませんか」とリクエストをいただいたことがきっかけでした。
また、松山と今治にある「喜助の湯」から「サウナストーンを作れませんか」と依頼をいただき、こちらも耐熱材料を使用して制作しました。このサウナストーンは、毎年1月から2月にかけて行われる「厄除けロウリュ」というイベントで使っていただいており、今年で4年目になります。
最初は「8cmくらいの球体に窪みをつけてロウリュの水が溜まるようにする」というオーダーだったのですが、作っているうちに鬼瓦の顔が浮かんできて。試作品を見せたところ、「鬼瓦の特性を生かして厄除けイベントを開催しよう」という話になりました。
自分が考えたものを面白がっていただき、イベントにつながったのは本当にうれしかったですね。
小泉さんは菊間瓦の可能性を大きく広げられていますね。
瓦の使い道を広げたいという思いはとても強いです。実現できるかわからないことでも、とりあえずやってみようと常に考えています。
異業種の方との交流も多く、その中で話を聞いたり作品を見せてもらったりするうちに、「これを瓦でやったらきっと面白い」と思いつくことがよくありますね。
土から生まれ土に還る瓦は「究極のエコ」
小泉さんにとって、菊間瓦とはどのような存在ですか?
難しい質問ですね(笑)。もう当たり前の存在なんですよ。子どもの頃から工房で顔も体もすすまみれになりながら遊んでいました。瓦があって当たり前の環境で育ったので、生活の一部という感覚すら薄いくらいです。
10代目として会社を継ぐ決意をしたのはいつ頃だったんですか?
特に周りから何かを言われたわけではなかったのですが、小学生の頃から漠然と継ぐんだろうなと思っていました。
高校卒業時には会社も忙しかったので、自然と職人の道へ進みました。
瓦の魅力や醍醐味は何だと思われますか?
1枚1枚を見ると高価に感じるかもしれませんが、瓦はとても耐久年数が長いんです。1回施工すると、長ければ100年、何もしなくても60年ほどはもつと言われています。
現代の建材では保証期間が大体20年くらいで、屋根も定期的に塗り直しが必要です。その点、瓦は長期的にみてコストパフォーマンスがとても高いんです。
災害が多い昨今、耐久性の高さは大きな魅力ですね。
はい。「防災瓦」という災害に強い瓦も登場しています。これは瓦を重ねたときに瓦同士が連結される仕組みで、地震などで瓦がずれたり浮いたりしづらくなっています。
また、板金の屋根では雨音が建物内に響きやすいですが、瓦は遮音性があるため音が静かです。さらに、吸水性もあり室内の湿気を外に逃がす効果もあります。
瓦は1400年ほど前に中国から伝わり、現在まで形がほとんど変わっていません。それほど日本の風土に合っている素材なんです。
土から作られ、釉薬や塗料を使わずに、いぶしだけで仕上げて土に還る瓦は、究極のエコと言えるのではないでしょうか。

子どもたちが瓦に触れる機会を作り、次世代へバトンをつなぐ
菊間町が瓦の産地として発展した背景には、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
織田信長が安土城を建てるときに、中国から瓦職人を呼び寄せたそうです。その職人が菊間地域を訪れる機会があり、木型を使って良質な瓦を作る技術を伝えたと言われています。
この地域は、粘土や窯を焼くための松葉が豊富で、雨が少ない温暖な気候も相まって、瓦作りに適していたんですね。また、昔は船で瓦を運んでいたため、ここに限らず瓦屋は海岸線沿いに多くありました。
明治時代には、愛知の三州瓦、大阪の泉州瓦とともに菊間瓦が皇居の御用瓦として採用され、この実績が瓦の産地としての知名度を高めました。
他の産地と比べて、菊間瓦にはどのような特徴がありますか?
菊間瓦は、屋根に置いたときに上品に見えるよう、他の産地に比べて一回り小さいのが特徴です。また、種類が多く、いろいろな重ね方で屋根を美しく飾ることができます。
この地域には菊間瓦の職人さんがどれくらいいらっしゃいますか? また、業界全体の課題がありましたら教えてください。
最盛期であった50〜60年前には60社ほどあったのですが、現在、組合に加盟しているのは11社のみです。
屋根瓦の需要が減っていることが大きな課題で、後継者がいても屋根瓦だけで生計を立てるのが難しい状況です。そのなかで、菊間瓦を次世代に伝えていくため、7〜8年前に町全体で瓦作りのマニュアルを作成しました。このマニュアルは組合のメンバー全員が持っています。
菊間瓦の文化を守るため、マニュアルの作成に加え、屋根瓦以外の商品展開にも力を入れ、伝統の維持に努めています。
菊間瓦の可能性や、今後のビジョンについてお聞かせください。
屋根瓦は現時点で需要が低迷していますが、洋風の家で育った今の子どもたちが、大きくなったときに和風のよさに気づいてくれるといいなと思っています。よく、「流行は20年ごとに繰り返される」と言われますよね。
県外のワークショップなどで瓦を見たことがない、知らないと言う子どもたちも多いんですよ。将来、和風の家が再び注目されたとき、瓦に興味をもってもらえるよう、瓦を使った製品作りや魅力発信をこれからも続けていきたいと思っています。











