



強みは挑戦しつづけることにあり 楠橋紋織株式会社の歴史
最初に御社の歴史について教えてください。
楠橋紋織株式会社を創業したのは、私の祖父の弟です。名前を楠橋俊夫(くすばし としお)といいます。もともとこの楠橋家は地主で、農業や農具の販売をしていました。
しかし楠橋俊夫は県立工業講習所 機織科を卒業した後、16歳で宇和島織物検査所に勤務します。17歳にして織物工場の技術指導や織物組織の教育を担当するなど非凡な才能を発揮していました。
そして「これからはタオルの時代が来る」と考え、タオル作りを事業とする楠橋三郎治工場を21歳の時に創設したのです。
やがて私の祖父であり、俊夫の兄である楠橋秀雄(くすばし ひでお)が営業面で会社のサポートを行うようになっていきました。会社はモノ作り担当の弟・俊夫と、営業担当の兄・秀雄のもと、さらに成長を続けていったといいます。
程なくして会社に大きな転機が訪れます。第2次世界大戦の勃発です。秀雄も俊夫も召集がかかりましたが、当時秀雄は病気を患っており戦地に赴くことはありませんでした。一方の俊夫は残念なことに戦地にて帰らぬ人となってしまいました。
そして秀雄が会社を継ぎ、昭和26年に工場を改装。名前も現在の「楠橋紋織株式会社」へと改められました。

今日(こんにち)まで受け継がれている楠橋紋織株式会社の強みは、素材や加工といった研究開発をしっかりと行い、常に時代に沿った新しい物作りに挑戦している点にあります。
たとえば新バイオ精練という特許技術は、弊社が取り組んできた研究開発の中の一例です。この技術は元大阪府立大学の名誉教授であった故坂井拓夫先生と創業者の次男である楠橋章徳(くすばし あきのり)が協力して開発したものでした。
「精練」というのは綿糸を用いたタオル作りの工程のひとつで、綿糸の油分や不純物等を取り除く作業です。この作業をしないと綿が本来持っている油分の影響で吸水せず、タオルに最も求められる機能を発揮することができません。
そのため精練はとても重要な工程なのですが、これまでは苛性ソーダという劇薬を薄めて用いていました。原液の苛性ソーダは、皮膚を溶かしてしまいますし、目に入れば失明してしまいます。
当時アメリカではオーガニックタオルが流行しており、楠橋紋織としてはその市場で戦いたいという想いがありました。そのためにバイオ精練加工による完璧なケミカルフリーのタオルを実現したかったのです。
そして坂井先生と弊社を含めた繊維関連会社などが複数社集まって、バイオ精練協議会を発足。バイオ精練の加工レシピを確立するよう研究を続けましたが、どうしても吸水不良の失敗が続き、一社、また一社と協議会を去っていきました。
ついに、坂井先生と楠橋紋織だけになってしまったところでやっと、新バイオ精練の加工レシピが確立され実用化に至りました。
実用化後は劇薬を使わずに人にやさしい製造が可能になっただけでなく、製造工程中のCO2の削減にも繋がり、環境にもやさしいタオル作りが出来るようになりました。


綺麗で豊富な水がタオル作りのルーツ
今治におけるタオル作りの歴史を教えてください。
今治はもともと綿作が盛んな地域でした。周囲にある山々から綺麗な水が豊富に流れ込むため、綿作にとても適している地だったのです。
良質な綿が採れたために、その綿を紡ぎ、それがやがて綿織物へと発展し、ネル織りといういわゆるネルシャツのための布も織っていました。この布は、伊予綿ネルとも呼ばれるほど品質の高い布だったといいます。
今治が伊予綿ネルで活気づいていたころ、大阪の泉州ではタオル作りが始まっていました。ちなみに泉州は日本のタオル作りの発祥といわれています。
そうした状況をみて、今治で伊予綿ネルを製造していたある会社がタオルに可能性を感じ、タオル製作のために織機を改造。今治におけるタオルの生産をスタートさせました。
そこからタオルブームが日本に到来し、今治ではどんどんとタオルメーカーが増えていったのです。やがて今治は日本有数のタオルの産地として知られるようになりました。
今治タオルにはどのような特徴があるのでしょう?
今治はネル織りをしていた時代から、先に綿を染めてから織る文化があり、これが今治タオルの特徴となっていました。
逆に泉州の特徴は後染めで作ることで、こちらの方が大量生産できるのです。織り方もジャカード織りが今治、ドビー織りが泉州という違いがあります。
いずれにせよ大量生産を得意とする泉州、高級な物作りを得意とする今治という違いがありました。
とはいえ現在は、特徴の差異は薄くなってきています。時代が経過したことでお客様のニーズが変化し、そのニーズに両地域が対応していったためです。
現在は今治でも大量に生産できる製造法を採用することもありますし、一方で泉州でも“泉州こだわりタオル”というブランドが確立されています。
ただそういったなかでも私たちとしては、糸や加工にこだわって、今治タオルの系譜をしっかりと受け継いでいきたいと考えています。

人々を笑顔にするために 創業100周年に向けた想い
御社は今、どういったことに挑戦されているのでしょうか?
今は2031年の創業100周年に向け、自社ブランドである「ROYAL-PHOENIX OF THE SEAS」の活動を活発化させているところです。
このブランドは私の希望で立ち上げに至りました。10年ほど前のことです。弊社にはさまざまな自社ブランドが存在していたものの、確固たる地位を築いているものは存在していませんでした。
そこで私は「創業100周年に向け、当社を代表するようなブランドを立ち上げたい」と、当時の代表に提案をしたのです。結果快く承諾していただき、ブランドを立ち上げることとなりました。
そうして半年ほどかけ一緒に活動していただけるブランディング会社さんを探し、その後はご協力いただけた会社さんとブランドのストーリーを考えていきました。ストーリー作りにかけた時間は1年ほどでしょうか。
ブランドのストーリー作りは経営者だけでなく、社員と共に作り上げました。そうして出来上がったのが「ROYAL-PHOENIX OF THE SEAS」というブランドです。
このブランドのコンセプトに据えたのは、ある架空の豪華客船の物語でした。今治はタオルと造船の街として知られています。今治でタオル作りをしている弊社としては、今治のもうひとつの特徴である船をストーリーに絡ませたかった。
そこで豪華客船の物語を考えたのです。船の名前であるロイヤルフェニックスは、昭和20年代から40年代にかけて数々の皇族の方々にご来臨賜ったことと、弊社の前に植えられたフェニックスの木々からつけました。
架空の豪華客船・ロイヤルフェニックス号で使われているタオル。それが「ROYAL-PHOENIX OF THE SEAS」の開発コンセプトなのです。
更にそこから1年かけ、ブランドのフラッグシップモデルを作りあげていきました。
楠橋さんにとって、タオルとはどのような存在なのでしょうか?
「人の心を豊かにする、魅惑的な布」だと思っています。
作り手としてはとにかくお客様に喜んでいただきたいですし、ワクワクしていただきたいと思っています。たとえば一日の終わりのバスタイムに我々のタオルを使ってほっこりしていただきたい。そういった感情を心の豊かさと捉え、タオルを通してお客様へ提供していきたいんです。
使っていただく人の、笑顔を想像しながらモノ作りする。それこそが我々の大切にしている想いです。


現代に合わせたタオル作りをしていきたい
最後に今後について教えてください。
まずは2031年の創業100周年に向けて頑張っていきたいと思っています。創業100周年は入社直後から意識していましたし、それを越えることでいわゆる100年企業の仲間入りが出来ます。
一説によると企業は、創業後30年経たないうちに9割が廃業するとされています。私はその説を「創業者が考えた事業は30年間で廃れていく」という意味に捉えています。
そう考えると弊社は90年間存続しており、3回の構造改革を経ているとも考えられるわけです。今はまさに4回目の構造改革に向けての途中に当たります。
30年前と比較すればお客様も違いますし、消費者の好みや時代に求められるものもまた違います。そうした環境の変化のなかで生き残るには、その時代のニーズを的確に捉え、時代にあったモノづくりをすること。
今治のタオル作りや楠橋紋織株式会社に脈々と受け継がれている思想を次世代へと繋いでいくことが大切です。
お客様の声を聞き、お客様の想像の一歩先をいくような商品を開発する。そして何よりお客様に笑顔やワクワク感をもたらすために、これからもタオル作りに励んでいきたいと思います。

Text by タカハシコウキ











